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ROCK DIARY 2017年3月 2ページ目

昭和歌謡の歌詞のタイトルやジャケット撮影はROCK



少年時代、1960年代〜1970年頃までTVで見た歌手やレコードのタイトルは僕にはとても刺激的な大人の世界でした。歌詞じたいが今の恋愛観を歌っている類いの詞のストーリーとは全く異なるわけです。もちろんここには昭和の時代背景というものがあるわけですが、それにしても60年代当時の20代や30代前半は現代と比較するとあまりにも大人すぎてエロティックな大人の世界だったと思うのです。そして僕は10歳にも満たない時期に、ああ、こういうことがROCKでもあるんだと思っていたんですよ!


デビッドボウイも愛読した三島由紀夫作品 午後の曳航




三島由紀夫の作品は中学時代によく読んだものだが、僕が中学時代に流行していた作家は当時では江戸川乱歩であったり横溝正史あたりが10代前半にはウケていた事を覚えている。僕はといえば、乱歩や横溝の奇怪な世界もけしてキライではなかったが太宰治だったり三島由紀夫のほうに興味はそそられていた。きっとそれは、大人の性も含められた世界に興味をもって読んでいたのかもしれない。性的な描写を芸術的に捉えることへの深い興味は中学時代にもっとも読んでいたものだったように思う。デビッドボウイが三島の午後の曳航を愛読していたことや三島の自画像をボウイ自ら描くなど三島に傾倒していたなんて最近知ったことでもあり驚いたことでもあったのだ。


あらすじ

横浜市中区の谷坂上にある家に母・黒田房子と住む13歳の登は、自分の部屋の大抽斗(ひきだし)を抜き取ったところに覗き穴があるのを偶然発見した。この家はアメリカ占領軍に接収され、その家族が一時住み洋風に改築された家だった。覗き穴からは母の部屋がよく見え、夜、裸体で自慰をする母を登は見たりしていた。房子は5年前に夫を亡くしていた。その後は夫に代わり、元町の輸入洋品店のブティック・レックスを房子が取り仕切っていた。

ある夏休みの夜、登が除き穴を見ると、二等航海士・塚崎竜二が裸で立っていて、母が脱衣しているところであった。開け広げた窓から横浜港の汽笛が響いてきた。男が海のほうを振り向いた光景を見た登は、奇蹟の瞬間だと思い感動する。房子は船マニアの登にねだられて、貨物船見学を店の顧客の船会社重役に頼んで許可してもらい、前日に航海士の塚崎竜二と出会ったのであった。

竜二は、海に「栄光」や「大義」があると思っている孤独な風情のある逞しい男で、登はそんな竜二を「英雄」として見て憧れた。そのことを遊び仲間の同級生グループに得意げに報告していた。この少年グループの首領は、「世界の圧倒的な虚しさ」を考察し、他の少年たちに猫を解剖することを命じた。また、父親や教師の大罪について教授し、集まる数名の少年たちを番号で呼んでいた。

やがて、竜二は房子のブティック・レックスを一緒に経営するために接待用に英会話のテレビを見たり、一般教養のために下らない美術書や文学書を読み始め、店の経営のことを勉強したりするようになった。海の男・竜二を羨望していた登は戸惑い失望する。そして、ついに2人が結婚することとなり、「英雄」だった存在が「父親」となり、憧れていた船乗りの竜二が、この世の凡俗に属していくのを裏切りと登は感じる。そのことを登は首領に報告する。首領は、3号(登)を裏切った竜二を処刑しなければならない、そいつをもう一度英雄にしてやるんだと提言し、みんなに竜二の処刑を命令する。

登は竜二に、友だちにパパの航海の話をしてほしいと言い、彼を杉田のとある小山の洞穴に案内した。竜二をおびき寄せた少年たちは睡眠薬を混ぜた紅茶と、メスやゴム手袋を隠し持っていた。


日活ロマンポルノはROCK!



小学生のまだ子供時代に当時中学生だった兄の部屋でエロ本ってやつをみつけた。エロ本を観てドキドキした。たぶんこれが初めての性の目覚めだったように思う。ポルノなんぞという言葉はすでに知ってはいたけど子供は見てはいけないものであり口にしてもいけないみたいな風潮は1960年代〜1970年代にはあったように思う。だいたいにして性というものはROCKだとそう感じた。興奮はROCKそのものじゃないのか?衝動とはROCKそのものではないか?そう思えてならかった。見ちゃいけないものを見る。聞いてはいけないものを耳にする。感じてはいけないことを感じる。そういうことってROCKそのものなんだと思える。それにしても、日活ロマンポルノの映画のタイトルは、あまりにも今思えば凄いタイトルをつけているものだ!タイトルだけでも想像力をかきたてられると言うのは今の時代にはない最高のROCK的な要素であると思う


パンクロックのはじまり



ニューヨークドールズ

パンクのはじまりはNYドールズとされているのは、セックスピストルズを創始したマルコムマクラーレンが彼等のマネージメントをしていたからという説も当然、無視することはできないわけですが、ドールズ以前のもっともっと古くからパンク的なサウンドはありました。しかしながら一般的には73年頃のパンクロックのはじまりはNYドールズとしておいても構わないのではないかと僕も思う訳です。僕も当時10代の頃彼等が日本で紹介されて速攻FUNになりました。当時の僕は下手くそなローリングストーンズと考えていました!だからこそ、ロックなんだとも思ったのです


美しさはヴィジュアルから



70年代後期〜80年代にかけてロックの流れが全世界的に変わっていく背景がありました。80年代は世界的に音楽産業が邁進していましたので成功をおさめるアーティストはアルバムが100万枚を超えるのは当然のような事がおきていてアメリカでもイギリスでも超ヴィジュアル重視のバンドが次々とデビューしていたのですね。デュランデュランも当時はロックフリークスよりも一般的なリスナー人気がありこの時代、他をよせつけないヴィジュアルのかっこよさがありました。バンド全員がヴィジュアル的に美しくもあり僕的には彼らの音楽よりもまずメイクやヘアなどに興味をそそられました。グラムロック時代のメイクでもないし80年代当時のニューウェイブのバンドとも異なり、とにかくJAPANのデビッドシルビアンと同等に美しさを発揮していたのがデュランデュランでした


80年代のROCKって本当にROCK



デビッドリーロス

ヴァンヘイレンは80年代にモンスターバンドに成長しアメリカンハードロックの礎を築き上げました。と言うか、エドワードヴァンヘイレンのギターはギターフリークスに大絶賛され迎えられたわけですが、はたしてヴァンヘイレン自体がROCKとよべるものだったのかが僕にはよくわかりませんでしたね!しかし一般的にビルボードのトップ40にはいるということがリスナーのROCK魂になんらかの要因ともなるわけで、それはそれで否定もできないわけですけど、しかしながらデビッドリーロスのイデタチというのはこの時代を象徴するロックスター的な印象はありますね



ROCKって?





ROCKは生きて行くうえでのスタイルの事を指して言う!そうずっと考えて来た。ROCKにエレガントやナチュラルやフェミニンやそういう類いのニュアンスは存在しないかと言うと、さてとて、そんなことはない。ROCKには時にそういう類いのことが誰にでも持ち合わせてもいる。ROCKとは言っても生活者であることには変わりはない。ヘビーメタルを嗜好しようがパンクを嗜好しようが誰にでももちあわせているものなんだ


アントナンアルトーがROCK



アントナンアルトー

アントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。

20代の前半、シュールレアリスムを調べていた頃にアルトーと出会った。シュールレアリストというより真のレアリストの体現者だった。僕はアルトーの生きたこの時代のフランスに憧れた。アルトーの表現こそがROCKだった。今でも僕の中で彼を超える偉大なROCK表現者はいないんじゃないかと信望してるのだ



ROCKって?



いつの時代にもROCK野郎って存在します!ROCKという定義は人それぞれの捉え方がある。なにもバンドやりたいとか、楽器ができるだけがROCKをやってます!ROCKで生きてます!ってことなんかじゃないわけですよ。サラリーマンであろうが、自営業であろうが、公務員であろうが政治家だろうが、職業じゃない!そう、生き方ってでも言うんでしょうかね?自分はROCKなんです!って言い切ってしまうところが、もはやROCKなんですね!かっこいいね!ダサかっこいいってのも含めてROCKなんですよ


ROCKって?



ROCKがお洒落じゃない、格好わるい、ダサい・・・・って思う方は本当の意味で、本当にセンスがない人なんですよ。というのは、感性が鈍いんです。などと言い切ると嫌われますが、本当のことです。人は男であろうが女に生まれようがROCKを内在して生まれて来ています。何を根拠に?と言われると思うのですが、それって否定はできない事実ではなく真実なんですよ


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