HOME > ROCK DIARY > アーカイブ > 2019年1月 > 2ページ目

ROCK DIARY 2019年1月 2ページ目

2019年1月12日(土) 日々ROCK的な・・・



ファッションの事を考える事が職業な
わけで、なにもヘアスタイルだけを
追求することが仕事だとはけして
思ってはいません。ファッションが
あって、それぞれの趣味嗜好がある
からヘアスタイルがあるのだと
思っています

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


2019年1月11日(金) 日々ROCK的な・・・



それぞれにファッションがあって、それぞれに生き方がある
生き方それじたいがファッションであって、日常を離れて
ファッションはない。日々ROCKな事って、そこらじゅうに
転がっていて、全ての縁することがロックであってファッション
として捉える。若さは年齢とは関係なく、日々想像的に
暮らすことが年齢をかさねていくにすぎないのだと
思えてならない

SAIKAディレクタ-  齋藤嘉弘




2019年1月10日(木) 日々ROCK的な・・・



ヴィヴィアンウエストウッドマンの手袋を購入してみました。
指の部分が開いているのでスマホを打つにも便利だし、寒い
ときは指を覆うようにもなっているので案外便利な手袋です。
ヴィヴィアンのショップスタッフの方も気さくな方で1976
年当時のSEXやレットイットロックの話、さらにはアウトア
ロボットが恵比寿に出店した当時の話をさせていただいていたら
興味深く話しできたことが楽しかったです。

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


2019年1月9日(水) 日々ROCK的な・・・



映画マイジェネレーションを観て来ました。
1960年代当時のスィンギンロンドンが
どんな時代背景だったのかがわかりやすく
説明された記録映画です。当時のロンドン
の熱狂がこの映画から伝わってきますので
とても参考になるものでした。60年代の
ファッション、ロック、アート・・・
やっぱりこの時代のニュアンスって
素敵ですね

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


2019年1月7日(月) 日々ROCK的な・・・



ファッションの事を考えているだけで
幸せですね。
少年時代、はじめてファッションデザイナーの
名前を知ったのがヴィヴィアンウエストウッドでした
 
16歳当時ってROCKとARTとファツションと言えば
メンズデザインしか当然のように興味がなかったので
すが、女性のファッションにも興味が湧いたきっかけ
がヴィヴィアンウエストウッドでした
 
セックスピストルズが登場しなければ、このUK・PUNK
のファッションになど興味も湧かなかったのかもしれないけど
ヴィヴィアンのデザインというか当時のSEX、レットイットロック
セデショナリーズには興味を持ったものでした
 
お正月にマルコムマクラーレンの自伝を読みつつ、ヴィヴィアンの
部厚いこの書籍も買ってきて読んでいます。
 
ファッションの事を考えているだけで最高に幸せです。
美容師になるつもりで美容学校へは行ったわけでは
なかったけれど、改めて、この職業に就けた事は
幸せなことだって思えています





2019年1月6日(日) 日々ROCK的な・・・



パンクロックのヘアをつくりだしたのは僕が16歳になった頃からでした。
試行錯誤しながら、レザーを使って高校の同級生の髪をカットしたり、自分の
髪をカットしたりしましたね。習うより慣れろ!なんて言葉は、すでにこの時点
でわかってた事でもありました。高校卒業して美容学校に進学して美容室にはいって
基本的なカットを学んでしまうことにより、実際に10代の頃、自分でやっていた
カットの方法理論が逆に暫くはできなくなってしまったのを記憶しています。
パンクスタイルに基本のカット技法では通用しません。そんな経験を元にSAIKAの
ロックスタイルのヘアカットが生み出されていったのです

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


2019年1月5日(土) 日々ROCK的な・・・



ヘアスタイルやファッションを毎日、日課のように
いつも考えています。そんな事は美容師だからあたり
前な事なんですが、デザインを考える事は美容師に
なる以前の少年時代からずっと続いていたことでした

特別パンクファッションだけに捕われているわけでは
けしてないのですが、ロックンロールの根本がパンク
にはあって、シンプルにROCKとはなにかを日々考え
て生きているように思うのです。シドヴィシャスって
そういう意味ではROCKな人だったとよく考えます

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


2019年1月4日(金) 日々ROCK的な・・・



あけましておめでとうございます

大晦日にヴィヴィアンウエストウッドの映画を観て
正月の3日間の休みはマルコムマクラーレンと
ヴィヴィアンウエストウッドの自伝を読み過ごして
おりました。パンクロックファッションに僕が興味を
持ったのは1976年にセックスピストルズが日本で
紹介されたと同時の事でした。当時16歳だった僕には
強烈に印象を与えてくれた出来事のひとつでした。

当時76年頃と言いますと男の子のヘアスタイルと言えば
リーゼントなどの所謂、ヤンキー系が流行する中にあって
僕は髪をツンツン立たせてジョニーロットン風に理髪店
でオーダーしたものの何故かスポーツ刈りみたいになって
残念な思いをしたものです。それ以来、自分で髪を適当に
カットすることになったのが将来、僕は美容師でもいいかな?
という思いを目覚めさせたひとつだったのかもしれません。

SAIKAでつくりあげるヘアスタイルは、お客様が自分で
カットしたいのにできないから、お客様の手となって
僕が思い通りのヘアをつくりあげる、そんな、美容室で
ありたいと思っております。今年も何卒宜しくお願い
致します

SAIKAディレクタ- 齋藤嘉弘


1976年 ジョニーロットンのHAIRに理髪店でオーダーしたら、こんなふうにスポーツ刈りになってしまいました




<<前のページへ12

« 2018年12月 | メインページ | アーカイブ

PAGE TOP