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ROCK DIARY 2022年11月

2022年11月30日(水) 日々ROCK的な・・・



社会の最初が家庭であるとするならば・・・
 
家庭での躾ということがとても
大切になってくるように思うのです
 
愛情というのは
優しいだけではけしてなくて
厳しさも愛情のひとつなんだと思うのです
 
いつ頃からか・・
 
世間ではパワハラ、セクハラということが
当然のようになりました
 
それはそれで悪いことではないのでしょう・・
 
しかし社会人になってから
親に教えて貰えなかった一般常識や
学校教育の中で教えてくれなかった常識的なことを
社会にでてから教えなければならないということが
沢山あります
 
社会人になってから出来ている人もいれば
出来ていない人もいるわけです・・
 
叱りつけるのと、教えているのでは全く違うのですが
 
捉え方によってはそれパワハラですともなりかねないのが
現代社会です
 
戦争を肯定する人もいれば
否定する人も当然います
 
戦争のない世界をつくりあげ
対話で決着しようとしても
それはそれで歴史的に難しいものです
 
常識とは何か?
そこにはなにか違いはあるのでしょうか?
 
モラルとはなんなのか?
 
人は理想を掲げ
それにむかってすすんでいくものが
 
現代社会は
いつ頃からなのか・・
 
なるようにしかならないよ!
 
そういう世間のムードが
今の社会を現しているように感じます


2022年11月28日(月) 日々ROCK的な・・・



美意識について・・
 
おろらく美意識は生まれながらにして
ある人とない人の違いがあるのかもしれません
 
しかし
 
美意識は誰にでも備わっております
 
美意識が高いとよく聞くことですが
美意識が低いというのはあまり使わない言葉でもあります
 
というのは
 
美意識が低いですねというのはかなり失礼にあたります
 
なので
 
美意識高いですねとは言っても低いですねとは言わないですよね
 
ここで間違ってはいけないことは
 
誰にでも美意識は備わっているので
 
自分の価値観とあわないものを否定する
場合もよくみかけますが・・
 
その人にとっての美意識ですので
価値にあわないと言っても、責めたりしては
ならないということなんですね
 
その人の持っている美意識を逆に理解することは
あらたに世界観を知るということにも繋がる訳です
 
センスとか美意識の価値観というものは
同じような意識を持っている人が仲間として
寄ってくるものでもあります
 
僕はひじょうに珍しいタイプでもあり
幼少期からいろいろなセンスや美意識を探りだすことが
好きな人間でした
 
なので
 
友達の幅も多種多様であったのは確かです
 
大人になってからも先輩や後輩になんで
あんな奴とつきあっているのだと批判されることは
しばしばありました
 
ようするに、自分の価値観とはあわない人を
除外してしまうことが世の常ということなんですね
 
ナルシスト、ニヒリスト・・・
 
まあ、かっこつけしい・・というのでしょうか?
 
そういう類いの人には少年時代から尊敬の目で見て来たし
憧れを持ってみて来た僕自身がいました
 
なので・・
 
あなた、本当にナルシストだよね!
 
というのは
 
僕にしてみれば最高の褒め言葉でもあります
 
しかし、僕に面とむかって言える人というのは
逆にそうそういなくて・・
 
言われたら二度と関係性を持たないということに
も繋がってきました
 
そういうことがとても残念です
 
残念としか言いようがありません
 
相手が、少しでも美意識が高ければきっと
見方は変わるのにとさえ思って来たからです
 
さて・・
 
美意識というのはある意味において
嫉妬から来る場合もあります
 
男性、女性にかかわらず
 
美意識というものは生まれながらに誰しもが
備わっています
 
意識が高いほうがいいとか
あるいは
低くても良い場合もあります
 
目に見えていない音楽や
花の香りや植物の香りなど
 
見えない美意識もあります
 
僕たちはその人の価値観の中の
美意識をもっと知る事により
世界観が広がることも
学んで行かなければなりません・・・


2022年11月27日(日) 日々ROCK的な・・・



子供の頃・・
 
1960年生まれの僕なんですが・・
 
10歳上の兄、5歳上の兄がいたおかげで
ザビートルズ、ローリングストーンズ、ザフー・・
などのレコードを幼少期から聴くことができていました
 
なのでリアルタイムで60年代のROCKが聴けたし
70年代にはいってからはロックの黄金時代を
体験することができました
 
兄が買ってくるミュージックライフが小学生の
頃の僕を刺激してくれました
 
兄の部屋にはいればミュージックライフだけではなくて
平凡パンチやプレイボーイ、あるいは映画雑誌のロードショー
、スクリーンもあったので・・
 
小学生高学年頃にはこっそり兄の部屋にはいり雑誌に
夢中になる少年期をすごしてました
 
テレビも11PMなんて小学生高学年から見るように
なっていましたし・・
 
おおよその70年代カルチャーは記憶してます
 
ファッションに興味を持ったのはやはり
2人の兄の影響は大きいです
 
だいたい、2人も兄がいると決まって
おさがりがまわってきます
 
幸い2人の兄はお洒落が好きでしたので
僕は小学生の頃から当時のJUNやVANを
着ることができていました
 
例えば小学生でパンタロンを履く子供が
70年代にはそうそういなかったように
思います
 
70年代、高度成長期にあって
当時の家庭環境というものは
それぞれだったと思うのです
 
幸い、僕は江戸時代から続く薬局の
3男として生まれましたので
高度成長期時代に貧乏は体験して
おりません
 
この事は10代だった頃の僕の
最大の悩みにもなりました
 
貧乏であること
裕福であること
 
このことは経験しないとわからないことだと
思うのです
 
誰しも生まれて来る環境や親や場所や国や時代を
選べません
 
この事を思春期に本気でよく考えたものです
 
そんなところからだったと思うのです・・
 
文学に興味を持ち、読書をするようになって
いったのも中学にはいってからのことでした
 
僕は学校の勉強はまったくすることなく
自分の趣味嗜好に没頭してきた10代でした
 
なので中学、高校のテストの結果はほぼ赤点です
 
しかし
 
どういうわけか
 
記憶力だけは異常なほどにあり
よく友達には驚かれます
 
小林秀雄の全集を読み漁り
小林を僕の師と仰ぎ
読んで来ました
 
ある意味
 
哲学的なことや
仏教やキリスト教などにも
興味をもって
本を読み漁ってきました
 
しかしです
 
一番、大切だったのは
世間の中での学びでした
 
例えば学校での友人関係や
先輩や後輩、そして先生たち
 
そんな他者から学ぶことがほとんどで・・
 
なるほど、人の性格や性質、特性は
それぞれにあるのだと思ったものでした
 
社会に出てからも同じ事でした
 
知らないことを知りたい
 
そんな思いだけが人を成長させるんだと思うのです
 
学生時代、もっと勉強しておけばよかった??
 
まったくそんなの僕にはありません
 
学校の勉強、受験勉強よりも
好きな事を好きな様に勉強してきた・・
 
その結果が現在の自分をつくりあげています
 
学生時代、すべての試験の結果が赤点・・
 
授業中はほとんど寝てました
 
中学時代
一度だけ父親に言われたことがありました
 
通信簿を見た父は
笑いながら
恥ずかしいと思うなら勉強しなさいと・・・
 
たった一度だけ言われたことがありました
 
そういう父は
偉大だなって
思う様にしておりました


2022年11月26日(土) 日々ROCK的な・・・



よく
根拠のない自信と言うじゃないですか・・・
 
根拠のない自信をもつことは
とてもいい事だと思います
 
根拠がわからなくても
わかるような自信もついてきます
 
わかるような?
と言うのは
 
あきらかなる自信に繋がることも
あるということですね
 
なので
 
人に嫌われたとしても
根拠のない自信は持っていないより
もっていたほうがいい場合もあります
 
それも
 
人それぞれにできる人もできない人も
いるんですけどね
 
他人に指摘されようが影口叩かれようが
いいんですよ
 
辛いのは誰でもあります
 
楽観的に考えられればいいんです
 
根拠のない自信は
やがて
その人の夢や希望さえも可能にする場合もあります
 
もしも
希望が叶わなくても
 
それは
 
単なる結果でしかありません
 
自信はないよりもあったほうがいい
 
たとえ人にうざがられてもです


2022年11月25日(金) 日々ROCK的な・・・



みんながやっているから
みんな言ってるから
みんながいいと言ってるし・・・
 
僕は子供の頃から
 
みんなが?・・・
 
そういうことには
知識としては覚えておくけど
興味がほとんどありませんでした
 
行列になっている飲食店には
並びません
 
流行のものにはほとんど興味が
ありません
 
なので
 
いつ頃から渋谷に集まるようになったのか?
 
ハロウィンにも驚かされます
 
そういう意味では
一般的には
僕という人間は
つまらない
人なんです
 
流行の仕事?には就いている
という感覚は仕事をはじめた頃から
考えていませんでした
 
ただ僕は勉強熱心ですので
誰よりも情報を早くキャッチはしてます
 
なので、流行するまえにマイブームは
終了してます
 
なので
 
ファッションにかかわる仕事と言っても
 
流行が正しいなんて
まったく関係ありません
 
僕は
おそらく
一般的には
つまらない
人間だと思います
 
お祭りが嫌いでした
 
90年代からはじまった
フェスにも興味がありません
 
騒ぐことが好きじゃない
 
踊らない、酔わない・・・
 
なので
僕は
一般的には
つまらない
人間の1人です
 
ロックが好きだから
ライブには行きますが
 
本当にライブが好きか?
というとわかりません・・・
 
しかし
それにしても
渋谷の街には
カラスが多くて
朝はゴミをあさり
すごいことに
今日もなって
いるんです・・・


2022年11月24日(金) 日々ROCK的な・・・



歳を重ねて来ますと
悩みごとのひとつに髪のことが
でてきます
 
それは、男性も女性もなんです
 
白髪、薄毛、禿・・・
 
悩みはいろいろです
 
僕は40年以上髪の仕事に携わってきておりますが・・
 
プロとしての目線というよりも
僕自身の目線というものが
少年期よりありました
 
それを大人になり美容師として
カタチにしているだけに
すぎません
 
どういうことなのか?
と言いますと
 
美容学校時代、美容師アシスタント時代に
髪における基本技術また基礎知識を学んでいきます
 
美容学校を含めて
おおよそ3年〜5年は
基礎的なものを身につけて
いかなければなりません
 
プロの仕事は
なんにでもあてはまるかと思います
 
基礎知識、基本技術が身に付いているのか
どうかで
その後の仕事に影響がでてきます
 
これは
当然のことでもあり
あたりまえのことなんですよね
 
しかし
 
この、あたりまえの事が
あたりまえにできないのが
世の常なんですね
 
おおよそ
技術がうまければいいのか?
知識があればいいのか?
ということにもなるのですが・・
 
ないより
あったほうが
いいに決まってますよね
 
しかし
 
それだけではもちろんダメで
 
その人のお人柄とか
センスとか・・・
 
いろいろと学ぶことがあり
技術職というのは
終わりはなくて
死ぬまで学び続けて行くことが
とても重要なことなんですよね
 
前置きが長くなりました・・
 
僕は子供の頃から
ヘアスタイルには
おそらく誰よりも感心の高い
男子でした
 
髪型だけではなくてもちろんファッション全般にです
 
特にヘアスタイルには異常なほど
感心があり
 
男性だけではなくて女性の髪型にも
子供時代から興味を持ってみていました
 
髪型ひとつでその人の雰囲気が変わる
と思ったのも小学生の低学年の頃です
 
髪が伸びきって、いい感じになっていた
 
祖母がパーマ屋さんに
行って帰ってくるとまったく雰囲気が
変わり
 
きもち悪いほどかっこ悪くなっていました
 
僕は伸びっていて見慣れていたその祖母の
髪型がきらいではなかったのです
 
パーマ屋に行くとカッコ悪くなるんだ
というのが僕の中における美容室の最初
の印象でした
 
昨日までは伸びきったおばあちゃんの
髪は自然でかっこよかったのにパーマ屋
で人の手がはいることにより不自然になる
 
それは、父親が床屋から帰ってくる姿も
同じでした
 
さっきまで自然に見慣れた顔だったのが
帰って来ると刈り上げている父の雰囲気は
可愛くなりすぎているではないですか・・・
 
それは言うまでもなく母がパーマ屋から
帰ってくるのも同じことでした
 
僕自身も服装検査があるとき以外は
床屋には行かない人間だったし
 
パーマ屋も床屋も
人をかっこよくしない場所だという
認識がとても強かったんですね
 
かっこいいとは
何か?
 
そういうことが
異常に物心ついた頃より
考えていましたし
目についていました
 
とは言っても
 
これは
僕なりの解釈でもあり
一般的には
温度差がかなりあります
 
なので
僕の解釈というものは
全ての人の
見解には
まったくむすびつきません
 
同じ美意識を持っている方に
限られております
 
しかし
 
その
少数派の理解者は
少なからず
いらっしゃることが
僕のプロとしての
仕事として
成立しています
 
誤解のないように
話しておきますと
 
僕の個人的な解釈と一般的な
美容師、美容室との捉え方とは
異なってはいます
 
なので、全てのことを否定しているわけでは
ないのですが・・・
 
ほぼ
否定することから
はじまるのは
性なのでしょうね
 
なので
 
数日前に書いた
肯定か否定かに
あきらかにしております
 
僕は歳老いて行く母に
80歳まではヘアカラーを
強要しました
 
母はもう面倒だから髪を
染めるのはやめたいと70代にはいると
話しておりました
 
しかし
 
僕は母に、おばさんとおばあちゃんと
呼ばれるのは単なる白髪の違いだよと
説明しました
 
髪を染めずに白髪にして
自らを老人にしたら
本当にすぐに腰も曲がるし
気持ちがどんどん老人になるんだよと
母に話しました
 
毎日、鏡見ていると、自分が老人になってることが
案外気づかない!
 
しかし、他人から見たら、白髪はおばあさんなんだよ
強く言ってきかせました
 
母は僕の言う事を守り、80歳までは白髪を染めてくれました
 
若々しい母でした
 
しかし、80歳すぎて白髪染めをやめてからは
腰が曲がり、どんどん老けていくのは明らかでした
 
その頃、僕が母に話したのは
腰をなんで曲がる?
老人だから?
化粧なんでやめる?
老人だからか
 
楽だから??
 
人は見た目の年齢
 
だから、老人にはなったらダメだって
言ったのに・・・
 
母は89歳で亡くなりました
 
僕はいつもその人の見た目を感じながら
すっと長い間観察してきてます
 
同窓会でも、男子は禿率が高いですし
白髪にしている人も多いです
 
どの学校にも学生時代に男子に
人気のあったマドンナ的女子はいたと思います
 
もしも、素敵じゃなかったら・・・
 
僕はその子の側に行って
必ず言います
 
マドンナが今でもマドンナじゃないと
俺も困るし、ここに来てる全員の男子が
お前に会いたくて来てるんだよ
わかるか?
 
いつまでも、綺麗でいてほしいし
いつまでも素敵でいてほしいんだよ!
 
土台が違うんだ!
 
元が違うんだ!
 
みんなの夢を壊すな!!
 
なんて・・・
 
そんな失礼なこと普通は言えないですよね
 
僕は言えるんです
 
何故か?
 
しばらくぶりでも
僕はそういう人間だって言う事を
知っているからなんですね
 
まさか、そんなこと
言える人か言えない人かは
人を見て言ってるので
 
心配ありません
 
僕はどういうわけか
髪が多くて髪にも艶もあります
 
なにも高いシャンプーやトリートメントは
使用していません
 
遺伝なんでしょうね
 
なので、白髪は染めています
 
いずれ
 
白髪にしようと思ってます
 
それは80歳か90歳過ぎてからに
しようと思ってます
 
歳を重ねると
見た目が変わります
 
そのもっともはっきりしているのが
髪のことです
 
髪はどうにでもなります
 
現代は
かつらも
薬も
進化してます
 
ただし
 
お金はかかります
 
なので
 
どこに
お金かけるかは
価値観により
変化します
 
昭和の70年代の僕が中学だった頃に
僕は母に
 
パーマはかけるな!
ダサい
カッコ悪い!
 
そう話しました
 
パーマ屋にいくのは
カッコ悪くなるところ
 
それが
僕の美容室に対する
少年時代のとらえたでした
 
しかし
 
あれから50年経過しても
 
その考えって
 
あまり変わらないんですよね
 
見た目がかっこいい
それだけで
男性も女性も
ハッピーになれる
 
まずは
見た目から・・
 
それが
僕の幼少期から
思ってきた
美意識のひとつでした
 
男子も女子も
誰でも
かっこよくなれる!
 
何故なら
この世に
1人として
同じ人間がいないからです
 
観心なことは
その人の
美意識なんです


2022年11月24日(木) 日々ROCK的な・・・



作詞や作曲などオリジナルを書いている
ミュージシャンでも
自分なりに
いい出来上がりと思っても
それが
大衆に認められて
ヒットし売れて行くとは
限りません
 
個性が強いほど
なかなか大衆的には
受入れられないものです
 
悪戦苦闘します
 
なんで自分が
いいと思っているのに
認められないのか
自問自答を繰り返していきます
 
大衆に認められるものは
もちろん
どういうものかは
だいたい解っていても
それを自分がやるべきことではないと
否定し
また
自問自答を繰り返し
自分を追い込むんです
 
人生なんて
その繰り返しです
 
個性派でもなんらかの縁や
きっかけによりヒットし
売れていく場合もあります
 
ただ、言える事は
 
自分がいいと思っていることは
真実なんですね
 
なので
 
例え売れなくても
認められなくても
続けて行くだけでいいんですよね
 
周囲には
いつも
売れるものをつくれよ
大衆が求めているものを
つくればいいんだと
言われ続けながらも・・・
 
自分と挌闘しながら
生きていくんですよね
 
ほとんどのアーティストが・・・
 
ひねくれていきます
卑屈になっていきます
 
俺の事わかってくれる人なんて
いないんだと・・
 
辛くて、辛くて
酒やドラッグや・・・
 
いいんですよ
 
つくり続けていくことが
大切です
 
それが
自分がこの世に生を受けた
由縁なんですから・・
 
人生を
本気で生きること
 
それが
 
アーティストにとっての
由縁だと僕はそう思ってます
 
誰しもが
桑田圭祐じゃなくていいし
誰しもが
BZみたいなバンドじゃなくてもいい・・・
 
チャーやチャボはうまくやってこれた
数少ないミュージシャンじゃないですかね?
 
もしもチャボがずっと古井戸だったら
もしもチャーが気絶するほど悩ましいでTVに出ていなかったら・・・
 
僕は思うんですよね
 
鮎川誠って凄いとか
遠藤賢司は最後まで遠藤賢司だったと・・
 
どう生きるのかを
僕は諸先輩に教えて頂いてきました
 
あ、ちなみに
 
僕はミュージシャンじゃないけど
なにかを
生み出す
仕事として
同じだと言う事なんです・・
 
最後まで自分をつらぬきとおすこと
 
それで人生は
 
所願満足なんじゃないでしょうか


2022年11月23日(水) 日々ROCK的な・・・




鬱病は厄介なことだと思います
 
鬱から抜け出すと言いましても
それぞれにその抜け道もあるのかと思います
 
なんで?鬱病になってしまうのかと言いますと・・
 
それぞれに原因が違うので正確にはほぼわからないと思います
 
なので
神経内科や精神科では薬を処方する以外
の方法はないのか?とも
思います
 
メンタルクリニックやカウンセラーなども
多くありますが
 
それも
 
多くの場合は出会いだと感じます
 
自分にあう医師やカウンセラーなら
心も安定していくのでしょうが
まったくあわない人ですと
逆に辛いめにあいます
 
感情や意欲あるいは
脳になんらかの負担というか
不調があると鬱を引き起こす場合が
多いです
 
もっとも多くは人間関係においての
原因に繋がるというのもありますが
 
その人の性格や特徴でもかなり
違いがあります
 
僕自身は、幼少期から学生時代、社会人に
なってからの体験において
これまで
沢山の鬱病の方とかかわって来ました
 
と言うのは・・
 
例えば、子供時代の経験で言いますと
 
クラスで友達と会話するでもなく、休み時間も
誰とも話さないような子はどの学校にも
数人は存在していたかと思うのですが・・・
 
僕は非常にそういうクラスメイトに興味を持ち
こっそり後をついて行ってその行動を観察して
いたことがあります
 
今で言うなら、ストーカーですよね
 
しかし、僕の場合は好意をもっている子の
後をつけたのではなく、そんな1人ぼっちの
子の行動に興味を持ったのです
 
今思えば、なんで僕がそんなことを
したのかと言いますと、おそらく
人への興味だったんだと思うんです
 
一般的な子は興味の対称になかったのかと
言いますと
 
そういう人たちは普通に会話しあえる仲でしたので
興味というよりは、ふつうに接することができたので
それはいいんです
 
ただ・・
 
1人行動している子は
まったく喋ったこともないし
話かけても
会話にならないことが多かったわけです
 
僕は日記をつける習慣が子供時代から
あったので、観察したことをよく書き留めて
いたりしました
 
今でいうところの
 
イジメってあるじゃないですか
 
イジメられる側、イジメている側
 
そういうこともひとつの観察の対称でした
 
イジメられる側は
一言で言えば、男子にしても女子にしても
どんくさい人がほとんどです
 
どんくさいというのは差別用語にも
つながってしまうので
あまり使いたい言葉ではありませんが・・
 
イジメる側というのは、ほとんどは
イライラしている人が多かったように
感じてます
 
短気なんでしょうね
 
面白くないことがあると
人にあたりちらすと言うのか・・・
 
中、高になって俗に言うところの
ヤンキーもそういう類いが多いですね
 
短気で人にあたりちらす
 
このような人が僕は幼少期から
大嫌いでした
 
怒鳴る、怒る、騒ぐ・・・
 
苦手ですね
 
そんな僕自身が
イジメの対象にされた場合もありました
 
しかし、僕ですよ!
 
僕がイジメられるわ
けありません
 
無視の対称にされたときは
 
その無視した同級生に僕から
かかわって無理矢理その仲にはいって
いきましたし
 
リーダー格には、ふざけんなよ!って
叱ったこともあります
 
でもほとんどの人は
僕のような人はいませんので
 
イジメを解決する場合は気づいた人が
やっていかなければならないのです
 
最初はふざけてるだけからはじまり
エスカレートし
教師も見てみぬふりをします
 
ほとんどの先生が、見ぬふりをします
 
と言うのは・・・
 
あいつはからかわれてもしかたがないと
大人である先生が思っているからでもありますね
 
僕は正当派なんかじゃありませんよ!
 
かなり、ふざけていましたし
おどけていました
 
中学、高校時代は僕の部屋は
同級生たちのたまり場になっていました
 
高校時代なんて、クラスが違うのに
知らない同級生もいましたね
 
ただ、僕は
 
常にこの友達にはこの子は紹介できないという
輩はわけていました
 
つまりは
 
ヤンキーには、勉強のできる友達を
同じ部屋には一緒にさせていなかったんですよね
 
しかし、勉強のできる優秀な子でも
ヤンキーとは大丈夫という友達は
紹介してました
 
空気って
ありますよね
 
その空気を読むというのことを
 
高校生の頃に僕はやっていたように思います
いや、物心つたときから始まっていたかな・・
 
鬱病の話に戻ります
 
僕の同級生にも、ある一定数の鬱病に
なってしまった友もいます
 
僕が大人になって社会人になってから
気づいたことが
 
鬱になってしまった友との連絡を欠かしてなかったこと
だったんですね
 
誰ともつきあいのない友人が
僕とだけつきあいがあったり・・・
 
人とのかかわりって
いろいろあると思うんですよね
 
一般的には・・・
 
あいつとはもうつきあうな
あんなダメ人間とは会いたくもない
 
いろいろ
 
大人になると様々にあるんですよね
 
人間関係って何?
 
そう簡単なことじゃありません
 
でもね
 
相手じゃない
 
いつもこちら側にあるのだと思うのです
 
鬱・・・
 
これって
 
僕の観察記録では・・
 
いろいろな要因があります
 
なので
 
ひとことで鬱と言っても・・
 
それぞれに違いがあります
 
治すのは
 
もちろん
ご本人なのですが
 
医師じゃない、カウンセラーじゃない
 
本当はみじかな人であり
縁なんだと思うんです
 
人との縁
環境の縁・・・
 
誰もが
鬱になる因を持っているし
誰しもが
鬱を自力で治せる因はあるんですよね・・・
 
心よりも・・・
 
魂の由縁


2022年11月21日(月) 日々ROCK的な・・・



魂とは・・・
 
魂と言う事を常に意識しているわけではなくて
 
魂とは
なんのことなんだろうって
思うことが
子供の頃から
ありました
 
精神も肉体も
この
魂がつかさどっているとすれば
心さえも
魂が働きかけているのではないのか
 
宗教的でもあり
あるいは
哲学的とも言える
 
そういうことを
意識しながら
生きて来たわけでも
なんでもないけど
 
魂があるとすれば
その
運命みたいな
ものも
最初から
決定しているのでは
ないのか
 
そんなことをごくたまに
考えてみたりします
 
人とかかわる
仕事についているので
僕は休日には
ほぼ
1人行動ですごしたいと
思っています
 
なので
ほぼ
何十年もの間
休日は1人で
行動しています
 
1人でいる時間は
この魂について
考えることが
数年に一度くらい
やってきます
 
なにかに
悩んでいるときではなくて
または
苦しんでいるときでもなくて
 
なんとなく考えてみたりします
 
魂について
考えてみると
 
最初
生まれて来たときから
自分の
運命が
決定しているのなら
何も
怖いことは
ないと
思える様にもなります
 
霊媒師、手相やタロットの占い・・
 
そういう
類いの人たちに
会って
話してみる事は
自分自身を
知るのに
いいのかと思う事もあり
会って
話を聞いてみることがあります
 
必ず
言われることがあります
 
だいたい
同じ事を言われます
 
今日はなにしに来たんですか?
 
あなたに悩み事はありませんよね?
 
うーん!
 
なんで
ほぼ
同じ事を言われるんだろうと
不思議に思う事もありました
 
あるとき
 
50代の男性の占い師に言われました
 
あなたは
悩みを聞いて上げる側の人間で
聞いてもらう側の人間では
ありません
 
これまでに
あなたにとって
大きな悩みなんてなかったはずです
 
なんで今日は来られたんですか?
 
そう言われてみても
 
悩みのない人なんて
いないと思うんですよね
 
僕だって大した悩みではないのかも
しれないけど
人並みには苦悩してきています
 
そりゃ生きてりゃ
当然のことです
 
魂の由縁・・・
 
自分なりに
ごく
数年に一度
考えたりします
 
すると
最初から
運命が決定しているのなら
いつ死のうが
まったく
かまわない
そんな自分で
いられます
 
愉しいとか
苦しいとか
 
なんだか
 
同じ事のようにも
思う事があります
 
楽しいことはずっと続きません
苦しいときもずっとではありません
 
そういうことも
含めて
魂の由縁というべきものは・・
 
自分自身に
つながって
来るのかとも
思う事があります


2022年11月20日(日) 日々ROCK的な・・・



元々、生まれもっての性格や性質
は改善することはできるのだろうか?
 
親から、先祖から受け継いで来たものは
どうなんだろう・・
 
やっぱり
 
自分が生まれた
時代、国(都道府県)地域
などによっても全くもって
その環境も違えば空気感も違う
 
すべてが縁ということでかたづけられるが・・
 
そう簡単なことでもないと思う
 
どんな家庭環境で生まれようが
まったく苦悩がない人生はありえない
 
ありえないことにしておく
(稀にあるかもしれないので)
 
誰からも愛され、慕われる人は
もちろんいます
 
しかし、その人自身は愛せる人がいるのか?
慕っている人がいるのか?というと
それは必ずしもではありません
 
家庭、学校生活、社会生活・・・
 
人生は人とかかわりをもたないでは
生活がありません
 
自分の性格、性質は
 
そういう意味では人生を左右することが
多々あります
 
親や親戚、教師、先輩や後輩、同級生
上司、部下・・
 
みじかな人とのかかわりの中で
沢山のことを学びます
 
良いことも
また
悪いことであっても
 
世の中には
良い人も
悪い人も
存在しています
 
しかし
悪い人でも
全てが悪ではなく
良い部分ももっていたりもします
 
好きになれる人
好きでいたい人・・・
 
そんな自分にとって大切な人でさえ
縁にふれて大嫌いな人にもなります
 
それぞれの
性格、性質・・・
 
それだけじゃなくて
多くの自分が
自身となって
人に影響をあたえたり
人に影響を受けたりしているんですね
 
しかし
 
自分は
自分でいいんだと!
 
最終的に思えれば
いいのではないでしょうか?


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