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ROCK DIARY 2022年8月 3ページ目

2022年8月7日(日) 日々ROCK的な・・・




マイアディダスについて・・

とりわけヴィンテージがいいわけではけしてなくて
欲しい色やデザインのものを着たいだけで・・
 
特別、60年代ものや70年代ものだけがいいとも限りません
 
古着好きというわけでもなくて、スポーツカジュアルを10代の頃から
リーバイスにあわせたりしたかっただけ・・
 
ジャージはオシャレアイテムとして認知されるように
なったのは90年代以降でもありオルタナロックが流行し
リアム、ノエルギャラガーやブラーなどもアイテムに
とりいれたから急にクローズアップされていきました
 
80年代は何と言ってもRUN、DMCの貢献は大きかった
 
それにしても元々はアディダス以外にも全てのスポーツブランドを
視野にいれていましたが今ではもう他のブランドは見ないように
なりました


2022年8月6日(土) 日々ROCK的な・・・



ザバンドが日本人リスナーにとってたまらなく好きな背景にはディランとの関係性も
あったり、その昔、吉田拓郎がライブ盤で岡林信康がはっぴいえんど
をバックに使っていることは日本で一番音がいいバックをつけていると評価して
いたことにもあると思う・・・
 
フォーク歌手がエレキに持ちかえて歌うようになった背景には日本のフォーク
歌手のほとんどがディランに少なからず影響を受けてきているとも言える
 
今では聞かなくなったがその昔フォークロックなるジャンルがあった
そのこともボブディランの影響力は大きい
 
ザバンドのメンバーは次々と亡くなり、現在はガースハドソンと
ロビーロバートソンだけになってしまった
 
しかし、ディランはまだ元気だ!
 
このことは70年代には誰も予測できなかったかもしれない
 
ザバンドは僕らリスナーにとってとても重要な役割をはたしてくれた
よくザバンドの評価をザビートルズと同等だと話す人もいる
なるほど、ザバンドは僕らリスナーにとっては常に名曲、名アルバムを
つくってくれたし誰しもがザラストワルツは観たに違いはない
 
僕もラストワルツはビデオ時代に2本テープをダメにするくらい観たし
DVDになってからも特別版がでるたびに購入して観たものだ
 
ザバンドはこれからリスナーにはずっと語られる偉大なメンバー
の集まりだった
 
ジャズ界ではマイルスディビスがジャズの概念を変えて行った
 
ロック界ではボブディランがその概念を変えて行った
 
僕らリスナーはジャンルには関係なくあらゆる音楽をいいものはいいと
大先輩がたに教わってきたのだと思うのです
 
おそらく、ザバンドを語る時、僕らは1曲、1曲演奏スタイルや
メンバーの誰がボーカルを担当したのか、全アルバムを丁寧に
語りつくしていくに違いはないのです。
 
そしてロバートソンが去った後の再結成ザバンドについても
ジムウィダーのギターがどうのということを一晩じゃ足りないくらい
話あかすのだと想像するのです


2022年8月5日(金) 日々ROCK的な・・・



そんなにROCK好きなのになんでギターの練習しないの?
って・・
 
指、痛いから抑えられないって理由じゃだめですか??
 
考えてみりゃ、小学時代からずっと音楽好きだけど
好きだからこそ普通は努力するんでしょうけど
 
しないほうを選択し、聴いたり、イメージしたり
そういう人生もあるってことですよね
 
みんながミュージシャンになりたいわけじゃなくて
僕のようなリスナーをファンにつけるミュージシャンが幸せでもあると思う
 
全アルバムを必ず買うし・・・
 
でも
 
LIVEって別物なんだな!
 
これってリスナーにしかわからない性でもあるかも?
 
必ず生を聴いたほうがいいとは思わない
 
生演奏は上手い、下手だけではなくて
心を動かせる何か・・・
そういうことも必要なんですよね

2022年8月4日(木) 日々ROCK的な・・・



音楽は常に進化を続ける
 
そしてファッションもアートも進化を続ける
僕くらいの年齢になるとすでに60年代も70年代も
ましてや80年代、90年代にしろ知り尽くしてきている
 
しかし
 
2000年代はもはや22年という月日が流れてきています・・
 
今の事に飽きる事!これが20代からのポリシーとして持ち続けてきた
自分もいます
 
しがみつくな
前を見て歩き続けろ
執着するな
 
ときにはアンビエントな音楽にも癒される
こともあり
 
また、あるときはヘビーサウンドに感化され
 
そうやって何時のときも自分自身をコントロールし
続けてきたわけです
 
比較的というよりも全くもって自分には
鬱はやってきたことがないのは
全くなにも考えていないからではなくて
むしろ
考えすぎなほどに考えます
そして原因を解明し
明確にしなきゃ前には進めないということ
問題は必ず解ける
解けないわけがない
解ける答えしかありえない
 
だから問題は難しくても解決できたように思う
 
それもこれも
 
ときにはモダンジャズが
ときにはサンバが・・・
 
いつのときも見失わないということだと思うのですね
 
さて・・・
 
デトロイトテクノ・・・
クラブミュージックの中でも結構あつい連中が数多く存在しています
 
クラブミュージックこそ次々と新しいバリエーションを持って
勝ちにゆかなければなりません
 
DJもののレコードはすぐに飽きます
それでいいんです!
 
そういう代物だからです
 
ミックスは次の世界があります
 
このてんはアーティストとは全く次元が違いがあります
 
アーティストは残るけどサンプリングは名前のとおり
サンプルです
 
なのでセンスというものがとっても重要です
 
デトロイト??
 
車の地域ですか?
KISSのデトロイトロックシティを聴いてデトロイトを知ったけど
ここはレイパーカーJRが出た街としても有名です
 
Underground Resistanceは、アメリカのテクノユニットおよびレコードレーベルの名称。主にデトロイト・テクノをリリースしている
 
DERRICK MAY(TRANSMAT/DETROIT)
 
1980年代後半、デトロイトから世界へ向けて放たれた「Strings Of Life」は、新しい時代の幕開けを告げる名曲であった。自身のレーベル[TRANSMAT]からRhythim Is Rhythim名義で「Nudo Photo」、「The Beginning」、「Icon」、「Beyond The Dance」等今でも色褪せない輝きを放つ数々の傑作を発表し、Juan Atkins、Kevin Saundersonと共にデトロイト・テクノのオリジネ―ターとして世界中のダンス・ミュージック・シーンに多大な影響を与える。
 
シカゴ・ハウスの伝説のDJ Ron HardyやGodfather Of House Frankie Knucklesに多大な影響を受け、Music Instituteで確立されたその斬新なDJプレイは唯一無二。時代に流されることなく普遍的輝きを放ち、テクノ・ファンのみならず全てのダンス・ミュージック・ファンから絶大なる支持を得ている。
 
そして2010年、レコード店に衝撃的ニュースが流れる。何と実に13年ぶりとなる待望のミックスCDをリリースしたのだ。
 
『MIXED BY DERRICK MAY X AIR』と題されたミックスCDは1月に発表され国内外で大反響を巻き起こした。
 
スタジオ・ライブ一発録りで制作されたそのミックスには、彼のDJの全てが凝縮されていると言って良い。
 
そこには”熱く煮えたぎるソウル””多彩な展開で魅せるストーリー””華麗なミックス・テクニック”等、天才DJにしか作り得ない独特の世界がある。
 
自分の信じている音楽やファンへの情熱全てを注ぎ込んだかのうような圧倒的パワーがそこには存在する。
 
聴くものを別次元の世界へと誘ってしまう程だ。世界中を旅していて日本でのプレイが最も好きだと語るDerrick May、彼は本当に心から日本のファンの方達を大切にしているのだ。2011年には奇跡的に『MIXED BY DERRICK MAY X AIR VOL.2』を発表。
 
また、2013年には自身のレーベルであるTRANSMATのコンピレーションCD『TRANSMAT 4-BEYOND THE DANCE』を発表した


2022年8月3日(水) 日々ROCK的な・・・



40年以上聴いていなかったブライアンイーノのソロ作
 
ロキシーミュージックとししてのブライアンイーノで
あったことがよおくわかる内容の初期のソロ作だと思う
 
こういうアルバムをイーノがつくり、そしてイーノの
ビジュアルがこの当時は美しいものだったこともあり
後の70年代後期からはじまるニューウェイブのアーティスト
たちに影響を与えていったことは頷けるイーノにとっても
重要な作品だったと思います
 
その後のアンビエントや実験的サウンドにしろ、やはり
この2作のイーノがあったからだと言う事もわかります
 
最初から天才はやっぱり天才的領域のサウンドをつくりあげています
もしもイーノの存在がなかったらパンクブームからニューウエイブの
時代は来ていたのだろうかと?想うところもあるのです
 
改めて、イーノの存在価値をこの2枚のアルバム聴いて感じとれました


2022年8月1日(月) 日々ROCK的な・・・



画像は30歳くらい


僕が物心ついた頃より
最も生理的に大嫌いなことが
髪を切るということでした
 
そんな僕が人様の髪を切る仕事をしているのですから
不思議なことです
 
価値観というのはそれぞれに違いがあります
それを自分の価値観で物事を判断するのは違いがあります
 
髪はおんなの命と古来から言われ続けてきました
 
現代ではジェンダーな時代ともなり髪は
おとこの命でもあります
 
そんなこと僕にしてみれば
60年代の子供時代からすでにはじまっていました
 
男の子は刈り上げなさい、坊主でいい・・・
 
昭和の時代、中学生になると強制的に
学校によっては丸坊主にさせられるという公立校は全国には
少なく在りませんでした
 
僕は、そのことが小学生のときに恐怖でしかなかったのです
 
実際に2人の兄たちは強制丸坊主の時代でしたから・・
 
僕は、そのことが恐怖で東京の親戚の家から中学に通うから
東京に行かせてくれと何度も両親に頼んだものです
 
もちろんその願いは叶わず、僕が中学に進学するころには
丸坊主ではなくて耳たぶにかぶさらない、制服のつめえりに
つかないという校則になっていました
 
それだって僕にしてみればなんで床屋に行かなければ
ならないんだという恐怖でしかなかったです
 
なので中学、高校の6年間は服装検査があるときしか
床屋には行きませんでした
 
しかし、高校でバスケ部に入部したとき1年生は全員
スポーツ刈りを強制されました
 
大人になってからもことごとく人様の前に出るのに
髪をきちっとしなさいという風習があり
髪というものはなんでこんなにもとやかく
言われなきゃならないんだと考えたものです
 
そんな僕は髪を切る仕事に就いているわけです・・・
 
髪を切る、切られる・・・
 
これって僕にしてみれば
命を任されている思いです
実際に刃物を使って
施術するんですから

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